理解されないと嘆くよりも、
私は『論語』の熱心な読者ではありませんが、
それでもその中に、とても好きないくつかの言葉があります。
不患人之不己知、患己不知人也。(学而篇)
人の己を知らざるを患(うれ)へず、己の人を知らざるを患へるなり。
人にわかってもらえないことは辛い。けれど、
では、自分は誰かのことを十分に理解していると言えるのか、
感じ取れなかったたくさんのことがあるのではないか。
そう省みると気持ちがしんとなります。
かなり前、投稿した拙論に対する査読コメントに、
次のようなことが記されていました。
この部分は、本論文にとって重要なことを述べているのだろうから、
もう少し丁寧に説明をしてもらえないか。
初めてたどりついた考察結果は、本人にもうまく説明できません。
それをカッコに入れて、外側からまるごと尊重してくださったのだと思います。
このような理解の仕方があるのだと、後になって深く心に刻みました。
こちらに受容体がないばっかりに理解できない、
そうした盲点がありうるということに、せめて自覚的でいたいです。
それではまた。
2019年6月24日