繰り返される言葉
昨日言及した「不患人之不己知、患己不知人也」ですが、
これととてもよく似た言葉が『論語』の憲問篇にも見えています。
不患人之不己知、患己無能也。
これを自分にひきつけて解釈するならば、
(『論語』くらいの古典になると、それが許されると思います)
人に理解されないことを嘆くひまがあるなら、
その分、自分に足りないものを自覚し、充実に努めよう、ですね。
孔子はこのようなことを繰り返し言っていたのでしょう。
だから弟子たちがそれをそれぞれに書き留めた。
同じ憲問篇には、
邦有道穀、邦無道穀、恥也。
(邦に道あれば穀す、邦に道無くして穀するは、恥なり)
とあって、この「邦有道……、邦無道……」というフレーズは他にも見えます。
孔子はよほどこのことを繰り返し考えたらしい。
孔子ほどの人にも、
何度もそこへ立ち返って思いに沈むテーマというものがあった。
そのことに私はかえって勇気づけられます。
くよくよ考える必要はないと言われれば、それはただのお悩みとなりますが、
(昨今はこのように言われることが多いように思います。)
憂いを全身で引き受けて考え抜くならば、それは思想に育つでしょう。
一個人の置かれた苦境の中にも、遠くの人に届く普遍性をそなえたテーマがある。
だからこそ、私もこうして孔子の言葉にすくわれているのだと思います。
それではまた。
2019年6月25日