空白がもつ意味

比較的長い期間にわたる文学史を考えるときも、
ある個人の文学作品に取り組むときも、
わたしはだいたいいつも年表を作ることにしています。

そして、その際、一年を一行と固定することにしています。なぜか。

時間の推移や濃淡が、
空間に変換されてくっきりと立ち現れてくるから。

たとえば、曹操の事跡をたどってみたとき

三十代半ばまでと、それ以降と、
まず年表上の文字の密度が違うことに目を奪われます。
それは、彼の後半生がとても忙しかったことを物語っているでしょう。

ですが、若い時期の曹操が何もしなかったはずはない。
年表の上部に目立つ空白は、
世の人々の目に触れる言動が少なかったことを意味するに過ぎません。
青年時代の曹操は、
混乱の度を深めていく世の趨勢を観察しながら、
自分なりに様々な考えをめぐらせていたのではないでしょうか。

そうしたことを、1年1行の年表は示唆してくれます。

起こった事柄だけを記していくと、
ずっと同じペースで出来事が生じていたかのように見えてしまいますね。

表立って現れていないものの存在を念頭において考えること。
それは、出土したものを復元する考古学の作業に似ているのかもしれません。

それではまた。

2019年6月27日