結界としての社会規範

曹操を取り巻く知識人たちは、決して一様ではありません。

昨日述べた孔融のように、その言動が曹操の逆鱗に触れて殺された者、
荀彧のように、早くに袁紹の無能さを見切って曹操のもとへやってきた名参謀、
邴原のように、曹操に対して一定の距離を保ちつつ、その息子たちの指導を任された者、
何夔のように、曹操の求めに応じて助言はするけれども、
死んでも辱めを受けるまいと、常に懐に毒薬をしのばせていた者もいます。

孔融は、極めてラディカルな儒家思想の持ち主でした。*
他の知識人たちも、その思想的な根幹においては同質であったでしょう。

では、何が生死を分けたのか。

それは、月並みながら、儒家的な社会規範という結界の有無だと思います。
孔融はあまりにもラディカル過ぎた、
本心がむき出しであったということではないかと思うのです。

そういえば、岡村繁先生は型を重んずる方でした。
型さえきちんとしていれば、その中にいる限り自由なのだ、と。
型どおりが過ぎると慇懃無礼なのではありませんかと不躾にも問えば、
いや、わかる人にはわかるんや、とおっしゃっていた。
そして、当の先生は孔融の思いを深いところで受け止めていらっしゃいました。

今にして、先生のおっしゃったことが実感としてわかります。

それではまた。

2019年7月12日

*岡村繁「父の子に於ける、実は情欲の為に発せしのみ」(『小尾博士古稀記念中国学論集』汲古書院、1983年)を参照。