そうとも言い切れない

一昨日、パトロンと芸術家とを対立するもののように捉える内容のことを述べましたが、
こう言い切ってしまうのも、また違うと思い直しました。

たとえば、非常に美しい工業製品があったり、
自分というものを超えた存在と一体化して歌う歌(古代の歌謡など)があることを思えば。

人はどうやっても「文」なるもの(美)を作り出す生きものだとして、
その長い文化的消長の歴史の中で、
自我というものが前面に出てくるのは、ある限定的な期間なのかもしれない

そして、その限定的な期間の中に生きている自分であるため、
その作家ならではの個性や内面を読み取りたいと欲するのかもしれません。

それではまた。

2019年8月12日