過去から今への道をたどれば
歌声に満ちた世の中にあこがれる、とは一昨日書いたところですが、
実は、為政者が音楽を用いて民を治めるということに、
私は長らく強い違和感を感じ続けてきました。
だいたい音楽に政治的メッセージを込めるということ自体が好きでない。
(音楽家が政治的思想を持つことにはまったく異論はありません。)
音楽に何か社会的用途のようなものを持たせるということを、
芸術への冒涜であるように感じていたのですね。
ですが、ここ十年ほどでしょうか、だんだん分かってきました。
そもそも音楽は天上界と人間界とをつなぐものでした。
そして、人々が自然に対して畏怖の念を持ちつつ生きていた時代、
音楽を通して天上界におうかがいを立てることは、
人間界を治めていく為政者としては極めて重要なまつりごとであった。
だからこそ、歴代王朝は音律を定め、大切な式典で音楽を演奏したのでしょう。
人間社会において、音楽というものが占める位置が違っているのです。
時間を今から過去へと遡ると理解に苦しむことも、
過去から今に向けて経緯をたどりなおしてみると納得できることがあります。
詩人と官僚とがほぼイコールという中国古典の世界も、
政治家が詩を利用するのか、となれば非常に嫌な感じになりますが、
人の心もわからない粗野な人間に、民の公僕となる資格はないと解釈すれば納得できます。
かつての私が抱いた違和感は、ほとんど現代日本人の中国古典に対する違和感です。
ていねいに拾い上げていく価値はあると思っています。
それではまた。
2019年8月16日