才能よりも人徳か

近頃ちくま学芸文庫に収められた、田中謙二編訳『資治通鑑』の冒頭に、
「才と徳(巻一、周紀より)―人物鑑識のポイント」という章が置かれています。

先学の謦咳に接するような語釈に導かれつつ読み、
(言葉を読むということがどういうことか、みっちりと教えられます。)
たしかに、才能よりも人徳の方がずっと大切だと納得しました。

それと同時に、後漢末の英雄、曹操のことを思わずにはいられませんでした。

曹操の言動には非常にあざといところがあります。
何をするにも、それがもたらす効果というものを計算し尽している感がある。
たとえば、呉の名士、張悌が曹操を評して、

曹操は、功績は中国全土を覆い、威勢は四海を震わせたが、
権謀術策を弄し、絶えず征伐をし、
民はその威力を恐れはしても、その徳に懐くことはなかった。
(『三国志』巻48「呉書・孫晧伝」裴注引『襄陽記』)

と言っているのは、当時も今も、多くの人々が同意するところでしょう。
たしかに、わざとらしい善意には心からの親しみを感じにくい。

ただ、ある人物において「徳」なるものを成立させるのは、
本人の姿勢に加えて、周囲の人々の対し方もあるのではないかと思います。

曹操は、その現実的判断力において、他の英雄たちの追随を許しませんでしたが、
その祖父が宦官という、知識人たちから見れば非常に賤しい家柄でした。

そんな曹操は、配下の人々との信頼関係を築くのに相当苦労したはずです。
周りの知識人たちは、基本的に曹操を見下しているのですから。

他方、曹操が群雄を降すたびに相手方から帰順してきた知識人たちに、
自身の死活とプライドとを天秤にかける計算がなかったとは言えないでしょう。

そんな知識人たちの掲げるスローガンが「徳」でした。
そして、ある時期まで、周囲のアドバイスに従って「徳」を踏み行ったのが曹操でした。

少なくとも、後漢最末期という乱世においては、
「徳」なるものを、普遍的な倫理として語ることは殆いように思います。

それではまた。

2019年8月22日