散歩するように文字を探すと

ある作品に語釈をつけるため、
『春秋左氏伝』の中からある語句を探していたところ、
宣公十二年の条に、次のようなフレーズがあるのに出会いました。

夫文、止戈為武。
そもそも文字として、「戈」(軍事)を「止」めるということが「武」である。

以前、授業の中で、何かの折に触れたことがありますが、
ふと思いついたことだったので、その際には出典を明示しませんでした。
ここにメモしておきます。

さて、何か言葉を古典籍の中から探すとき、今は便利な方法がいくらでもあります。
ですが、散歩をするように一枚ずつページをめくっていると、
期せずしてこんな宝物に出会います。

私が学生だった頃は、コンピュータやネット環境はまだなかったので、
散歩どころか、血眼になって、一枚ずつページをめくって文字を探していました。
索引のような工具書はありましたが、それでも大半は手作業によるしかなく、
少しでも作業を効率化するため、四角号碼という、漢字を記号化したものを覚えました。

ところが、この四角号碼というものを覚え(てい)ない先輩がいて、
その方はたいへんな博覧強記で、古典の世界を自身の血肉にしておられました。
ひとつひとつの知識が有機的につながっているのですね。

今は、コンピュータの普及によって、博覧強記の価値は薄れているのかもしれません。
けれども、身についた知識が薄弱だと、思いつくことも薄っぺらです。
『春秋左氏伝』のような古典を最初からじっくりと読むことは難しいとしても、
せめて出典を探すときくらい、できるだけ手作業で行うことを心がけようと思います。

ちなみに、夏目漱石は『春秋左氏伝』などの古典を愛読していたそうです。
中島敦の「牛人」は、『春秋左氏伝』に(『韓非子』にも)見える逸話に基づいています。
古典の血肉化があればこそ生まれた近代文学(氷山の一角)だと思います。

それではまた。

2019年8月26日