やはり天は見ている。
三国の呉から、北に赴いて西晋王朝に出仕した文人に、
陸機・陸雲兄弟(あの陸遜の孫)と並び称せられた顧栄という人がいます。
陸氏兄弟は、王朝の内紛、八王の乱に巻き込まれて亡くなりましたが、
顧栄は崩壊した西晋王朝が南方へ落ち延びていくのに同行し、
司馬睿が東晋王朝を建国するのに協力しました。
彼ら呉人は、西晋貴族社会の中で、敗戦国の田舎者という扱いでした。
それなのに顧栄は、自分たちを冷遇した人々の王朝再建に力を貸したのです。
『世説新語』徳行篇に、こんな内容のエピソードがあります。
顧栄が、西晋王朝の都、洛陽にいたときのこと。
宴席で、炙り肉を食べたそうな様子の料理人に、自分のものを分け与えた。
居合わせた人々は嘲笑したが、顧栄はこう言って意に介さなかった。
「一日中肉を炙りながら、その味を知らないなんて、そんなことがあるものか。」
その後、南へ難を逃れていく途中、間一髪でいつも助けてくれる者がいた。
あとになって聞けば、あの炙り肉を分けてもらった人だった。
顧栄という人物の人柄がしのばれる逸話です。
彼だからこそ、南人と北来の貴族との橋渡しもできたのでしょう。
ところが、顧栄が亡くなった後、
北来の貴族で、司馬睿の参謀であった王導は、
南方豪族たちを切り崩し、分断させて、主導権を手中に収めます。*
ですが、東晋王朝はそれほど長い命脈を保ってはいません。
王導のような天才的な政治家のやり口では結局こうなるのでしょう。
歴史学的アプローチでない、素人的感想ですが。
それではまた。
2019年8月27日
*川勝義雄『中国の歴史3魏晋南北朝』(講談社、1974年)6「貴族制社会の定着 4世紀の江南」を参照。