ひとり同士だからこそ
漢代の詠み人知らずの詩歌は、大多数が悲哀感情を詠じています。
たとえば古詩であれば、生き別れの男女の情愛がその原初的テーマです。
また、そうした詩歌が詠われる宴席の様子は、
一座の人々はすすり泣き、その魂はとろけるようだと表現されています。
(『文選』巻四、張衡「南都賦」)
同じ宴席という場で上演されていたと思しい語り物文芸や演劇で、
たとえば、刺客荊軻の秦国への出立、李陵と蘇武の別れの場面などでは、
しばしば“涙が数行下ったり”しています。
悲哀感情というものは、人と共有しやすいものなのでしょうか。
ただ、宴席の外には、一家離散の流民が多くいたはずで、
それを思うと、宴席に連なる人々の悲哀がどういうものなのか、
リアリティを以て納得することが難しくなります。
他方、人々と共有する悲哀感とは異なって、
ある個人が、その人にしか感受できない悲しみを詠ずるとき、
かえって私はそれに強く共振するものを感じます。
私もひとり、この人もひとり。
ひとり同士だからこそ通じ合えるもの、
それを受け取ることができたなら本望だと思います。
それではまた。
2019年8月29日