鎮魂歌としての「怨詩行」(2)
楚調「怨詩行」にいう「高山柏」は、
陵墓に植わった柏、つまり逝去した人を指すのだと、昨日述べました。
ですが、これには異論が出てくるかもしれません。
というのは、柏という樹木には、また別の表象もあるからです。
たとえば、
亭亭山上松 すっくと抜きんでた山頂の松、
瑟瑟谷中風 さあさあと音を上げて谷底を吹き渡る風。
と詠い起こされる、『文選』巻23、魏の劉楨「贈従弟三首」其二は、
その結句でこう詠じています。
豈不羅凝寒 凍てつく厳寒に痛めつけられないはずはないが、
松柏有本性 松柏にはどんな逆境にも負けない本性が備わっているのだ。
これは、『論語』子罕篇にいう「歳寒、然後知松柏之後彫也。」
つまり、厳寒の季節となってはじめて、松柏が枯れないことに気づく、
という意味のフレーズを踏まえた表現です。
松柏が持つイメージとしては、むしろこちらの方が正統的でしょう。
劉楨の詩のような事例があるなら、
晋楽所奏「怨詩行」にいう「高山柏」もまた、
高い山に植わった常緑樹の柏を詠じることによって、
「君」の抜きん出た崇高さを表したものと解釈できなくもありません。
ですが、「怨詩行」に詠われた高山の柏は、
やはり、陵墓に茂る柏と見るのが妥当だと私は考えます。
そう考える理由は、次に示す第二の改変と関わります。
すなわち、曹植「七哀詩」にいう、
願為西南風 どうか西南から吹く風となって、
長逝入君懐 長く飛んでいって君の懐に入れますように。
これが、晋楽所奏「怨詩行」ではこうなっています。
願作東北風 どうか東北から吹く風が巻き起こり、
吹我入君懐 私を吹き飛ばして貴方の懐に入れますように。
この改変が、前述の「高山柏」とどう関係があるのでしょうか。
明日へつなぎます。
2019年9月17日