泥と塵

曹植「七哀詩」(『文選』巻23)に歌われた特徴的な次の対句、

君若清路塵  君は清路の塵のごとく、
妾若濁水泥  妾は濁水の泥のごとし。(現代語訳はこちらに示しています。)

これに類する表現は、同じ曹植の「九愁賦」にも次のとおり見えています。
(丁晏纂・葉菊生校訂『曹集詮評』第1巻、文学古籍刊行社、1957、第11頁)
  ※現代中国的様式で出典を示してみました。見る人がアクセスしやすい情報開示ですね。

寧作清水之沈泥  寧ろ清水の沈泥と作るとも、
不為濁路之飛塵  濁路の飛塵とは為らざれ。

 清らかな水に沈む泥となろうとも、
 汚濁の路に舞い上がる塵になどなるものか。

趙幼文が、この作品を文帝の黄初年間に繋年していることは妥当だと判断されます。*

「泥」は、おそらく曹植自身をいい、
「塵」は、暗に文帝曹丕を念頭において言っているのかもしれません。

曹植「七哀詩」の製作年代は未詳ですが、
内容がかなり具体的な「九愁賦」と類似句を共有している、
そこに、何らかの考察の糸口が見えているような感触があります。
それがどう展開するのか、あるいは気づきで終わりなのかはわかりませんが。

それではまた。

2019年9月25日

*趙幼文『曹植集校注』(人民文学出版社、1984年)巻2、p.252~257を参照。