建安年間の曹植と「友」
昨日取り上げた曹植「贈王粲」は、
特定の誰かに宛てて書かれたわけではない王粲の詩を、
自分に向けられたものとして受け止め、新たな詩を紡ぎだしています。
そこに、「文学」と呼びうるような普遍性を見出そうとしたのが昨日言及した拙論です。
ですが、「曹操の事跡と人間関係」の修正作業を行う中で、
建安年間、曹植を取り巻いていた現実を、もっと踏まえる必要があると考え直しました。
王粲の「雑詩」は、もちろん文学サロンの仲間たちに朗誦されたでしょうが、
もしかしたら、彼は曹植に直接、それとなくその作品を差し出した可能性があると考えます。
王粲が、荊州の劉表から曹操のもとにやってきたのは208年、
そこから彼が病で亡くなる217年までの間、
曹操から圧倒的な愛情を注がれていたのは曹植です。
217年、曹丕が太子に決定するまで、そんな情況が続いていました。
このことは、『三国志』の随所に認めることができます。
してみると、王粲が上述のような振る舞いに出たとしても不思議ではありません。
彼はとても出世欲の強い人でしたから。(こちらの第三章をご覧いただければ幸いです。)
他方、曹植はそうした人々に対して、詩中、多く「友」と語りかけています。
その「友」に対する語りかけ方を、もっと丁寧に読み解きたいと思いなおしました。
以上のことも、留学生からの質問に触発されて生まれた問題意識です。
感謝。
それではまた。
2019年10月10日