わからなくなってきました。
先日来読んでいる曹植「贈徐幹」は、やっぱりわかりにくい詩です。
中でも特にわかりにくいのは詩の構成です。
昨日書いたことで、もうさっそく、それは少し違うと思うことが出てきました。
(書けば自分の考えの不備が現れてきます。書くことが考察を前に進めてくれます。)
たとえば、「第7~12句は宮殿の有り様、13~18句は貧困の中で著述に励む人の描写」は、
厳密にいえば、第7・8句と第9~12句、第13~16句と第17・18句となるでしょう。
そして、それがそれぞれ第6句「小人」と第5句「志士」とにつながっている、
つまり、「志士」をa、「小人」をbとするならば、
a⇔b、〔b’+B〕⇔〔A+a’〕という構成を取るのではないかという考えです。
4句ひとまとまりと、2句ひとまとまり、それらがどう構成されているのか、
練り上げられた結果であるのか、それとも即興でこうなったのか。
また、「志士」と「小人」との対句の前に置かれた風景描写は、
やはり純然たる叙景であるとは言い難く、
風景を写実的に描く作風が生まれていないこの時代の表現である以上、
叙景であると同時に、人的世界の何らかの状況を比喩しているのだろうと思わざるを得ません。
別に、先人の注釈に、次のような興味深い指摘がありました。
古直『曹子建詩箋』巻1にいう、
「慷慨有悲心、興文自成篇」「良田無晩歳、膏沢多豊年。亮懐璵璠美、積久徳愈宣」等の句を吟味するに、この詩は、おそらく徐幹の『中論』に因って発せられているのではないか、
との指摘で、
古直はこう述べた上で、『中論』の中のいくつかの記述を列挙しています。
徐幹という詩人を、思想家としての側面から捉え直し、
その上で、曹植のこの詩をあらためて読んでみたいと思いました。
それではまた。
2019年11月2日