中央アジアの羽人

東京国立博物館の東洋館で開催中の特別展、
「人、神、自然~ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界~」を観覧し、
その中の「精霊像」(中央アジア/バクトリア・マルギアナ複合、BC3200~BC2700年頃)に驚きました。

背中に羽を生やし、入れ物を手にしたその中央アジアの精霊の姿が、
漢代の、筒のような容器を両手で持っている羽人と非常によく似ていたからです。*1

漢代の羽人は、その容貌が同時代の他の塑像とは著しく異なっています。
とがった鼻、長い耳、後ろに流した髪、細長い手足を持つそれは、
むしろ、
先の中央アジアの「精霊像」や、
それと同系らしい同地域の「女性像」(BC2300~BC2000年)と似ています。

紀元前後1世紀頃の漢代の羽人と、先の精霊像とでは、時代がかけ離れていますが、
出土した文物は氷山の一角であって、それ以外の時代に存在しなかったわけではないでしょう。
中央アジアの精霊は、長い歳月を経て東方の中国にもたらされ、
その見慣れない姿かたちがそのまま、羽人として定着したのではないかと想像しました。

この羽人の姿は、漢代詠み人知らずの歌辞「長歌行」(『楽府詩集』巻30)を想起させます。

仙人騎白鹿  仙人は白い鹿に乗って、
髪短耳何長  髪は短く、耳はなんと長いことだろう。
導我上太華  私を導いて西方の太華山に登り、
攬芝獲赤幢  霊芝を摘み、赤幢(薬の材料?)を捕獲した。
来到主人門  主人の門までやってくると、
奉薬一玉箱    奉薬を入れた玉の箱をひとつ捧げる。
主人服此薬  主人はこの薬を飲むと、
身体日康彊    身体が日ごとに健康になっていく。
髪白復更黒    髪の白かったのがまたより一層黒くなって、
延年寿命長    寿命が長く伸びるのだ。*2

神仙は、古代中国人が脳内で作り上げた空想物ではなく、
西方の彼方からもたらされた見知らぬものを、彼らなりに受容した成果物なのでしょう。*3

それではまた。

2020年1月27日

*1『世界美術大全集 東洋編2 秦・漢』(小学館、1998年)p.60、94(解説はp.342)に見える。
*2 本文は、『楽府詩集』(中華書局、1979年)p.442~443の校訂に従う。
*3 大形徹「中国の死生観に外国の図像が影響を与えた可能性について―馬王堆帛画を例として―」(日本道教学会『東方宗教』第100号、2007年)からの啓発による。