完全ではないという自覚

昨日触れた明版の『陳思王集』は、
現存する諸本の多くとは作品収録の排列が異なっていて、
巻1~4に賦、巻5に頌・賛などの文、巻6に表などの文、巻7に誄などの文、
巻8に楽府詩、巻9に詩、巻10に令などの文、という順番で収録されていました。

たとえば、趙幼文『曹植集校注』が底本にしたという丁晏『曹集詮評』は、
明代の程氏刻本と張溥百三家集本とを基にしているとのことですが、
この『曹集詮評』は、巻1~3が賦、巻4が詩、巻5が楽府詩、その後に文といった具合です。

先日見た『陳思王集』は、いったいどのような系統に位置するものだったのでしょうか。

また、曹植の作品集は明代にまでしか遡れないようなのですが、
それ以前の宋代、書誌学者たちがすでにこの別集の成り立ちに疑義を示しています。*

晁公武『郡斎読書志』巻17は、「曹植集十巻」を著録した上で、
『三国志』巻19「陳思王植伝」に記す「植前後所著賦頌詩銘雑論凡百餘篇」が、
今本(隋唐から巻数が減少)所収の詩文二百篇よりも少ないことを疑問視しています。

陳振孫『直斎書録解題』巻16は、著録する「陳思王集二十巻」について、
二十巻という巻数は、『旧唐書』経籍志や『新唐書』藝文志に一致しているが、
その中には『藝文類聚』『北堂書鈔』『太平御覧』などから採録したものが含まれている、
よって、本書は元来の姿ではないだろうとコメントしています。

曹植集を最初に記録する『隋書』経籍志四には「魏陳思王曹植集三十巻」とありますが、
今見ることができるものは、巻数のみで言えば、その約三分の一です。

曹植に限らず、当時の別集については不明なことばかりです。

だから彼の文学については何も言えない、とあきらめるわけではありません。
現存する作品がすべてではないということを意識する必要がある、と改めて思ったのです。

それではまた。

2020年1月29日

*興膳宏・川合康三『隋書経籍志詳攷』(汲古書院、1995年)を手引きとして調査した。