曹植の希望の星

文献複写の依頼をしていた矢田論文が届きました。*
拝読してとても面白かったので、その概要を私なりに記してみます。

曹植の詩には、表現上、屈原作とされる「離騒」「九章」等の影響が少なからず認められる。
だが、曹植はその作品の中で屈原その人に言及することは稀である。
これはなぜか。

屈原は、楚王の同族として忠義を尽くしたが、讒言のために自殺に追い込まれた人物である。
曹植も、魏王室の一員として現実参画を強く希求しながら、その望みは叶えられなかった。
この点において、曹植は屈原と境遇が非常によく似ている。

他方、曹植の詩によく言及される周公旦は、
一時的に讒言されて周王朝から退けられることはあったものの、
最終的には、実の叔父として周の成王をよく輔佐し、周の基礎を築いた人物である。
周公旦と曹植も、その王室との血縁関係において多く重なり合う。

曹植は、その境遇において、屈原にも、周公旦にも類似する部分を持っている。
にもかかわらず、屈原には無関心を装い、周公旦の不遇には多く言及している。なぜか。

現実参画への望みを最後まであきらめなかった曹植にとって、周公旦は希望の星であった。
他方、悲劇的な最期を遂げた屈原のような人生は、彼にとって絶望を意味している。
曹植が屈原に背を向けたのは、こうした彼自身の内面的事情によるだろう。

曹植が、自身を周公旦と重ね合わせ、そこに希望をつないでいたという指摘、
全面的に賛成です。

2020年2月12日

*矢田博士「境遇類似による希望と絶望―曹植における周公旦及び屈原の意味」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』別冊文学・芸術学編19、1993年)