苦境の只中にある天才

本日、[曹植作品訳注稿]に「当牆欲高行」を公開しました。
これまでに[日々雑記]で触れたことのある作品から順次公開しようと思っておりますが、
改めて訳注というかたちに整えるには、かなりの手直しが必要だと痛感します。
(雑記では気楽に書いていられたのですが。)

この楽府詩「当牆欲高行」には、
『楚辞』という古典に由来する表現も、俗諺も、混然一体となって注ぎ込まれています。

また、『楚辞』とともにかなり強く意識しているように思われたのが、
前漢の辞賦作家、鄒陽の「獄中上書自明(獄中にて上書し自ら明らむ)」(『文選』巻39)です。*
表現のみではなく、この上書が持つ文脈をも踏まえていると感じました。

『三国志』巻19「陳思王植伝」によると、
彼は十歳あまりで『詩経』『論語』『楚辞』及び漢代の辞賦作品、数十万言を諳んじ、
かつて、父曹操に「代作してもらったのか」と問われると、
「言葉が出れば「論」となり、筆を下せば「章」となります」云々と答えたといいます。
当時の議論は、対句的均衡のとれた美しい言語の応酬といった様相でしたし、
「章」は、文(あや)なす言語芸術作品の意であって、今の「文章(散文)」とは異なります。

このように、美しい言葉が即興で次々にあふれ出てくる、
そこには雅俗の区別はなく、正統的な古典も民間に流布する俗諺も同列に用いられる、
これが、恵まれた環境の中で培われた、曹植の言語表現のあり様でしょう。

「当牆欲高行」は、そんな曹植が苦境の只中で詠じた作品です。

それではまた。

2020年2月20日

*古直『曹子建詩箋』巻4に指摘されている。