あやしい李陵詩
その一句目「明月照高楼」に関連して、
明の胡応麟『詩藪』が次のような指摘をしています(内篇巻2・古体中・五言)。*
「明月照高楼、想見餘光輝」、李陵逸詩也。
子建「明月照高楼、流光正徘徊」、全用此句而不用其意、遂為建安絶唱。
「明月 高楼を照らし、餘りある光輝を想見す」は、李陵の逸詩である。
曹植の「明月 高楼を照らし、流光 正に徘徊す」は、
全面的にこの李陵詩の句を用いながらその意趣は用いず、かくして建安詩の絶唱となった。
胡応麟が紹介しているこの李陵詩は、
『藝文類聚』巻29に「漢李陵贈蘇武別詩」としてその全文が採られ、
『文選』巻24、陸機「為顧彦先贈婦二首」其二の李善注には、末尾の二句が引かれています。
ですから、六朝末までにはすでに成立していたこと確実なのですが、
ただ、それ以上に遡って成立時期を推定するとなると、手掛かりがありません。
とはいえ、この李陵詩を見たとき、これは比較的遅い時代の作品ではないかと感じました。
その根拠はと問われると答えにくいのですが。
今、『藝文類聚』所収の全文を示せば次のとおりです。
01 晨風鳴北林 晨風 北林に鳴き、
02 熠燿東南飛 熠燿として東南に飛ぶ。
03 願言所相思 言(ここ)に相思ふ所を願ひ、
04 日暮不垂帷 日暮るるも帷を垂れず。
05 明月照高楼 明月 高楼を照らし、
06 想見餘光輝 餘りある光輝を見んことを想ふ。
07 玄鳥夜過庭 玄鳥 夜に庭を過(よ)ぎり、
08 髣髴能復飛 髣髴として能く復た飛ぶ。
09 褰裳路踟蹰 裳を褰(かか)げて路に踟蹰し、
10 彷徨不能帰 彷徨して帰ること能はず。
11 浮雲日千里 浮雲は日に千里ゆく、
12 安知我心悲 安くんぞ我が心の悲しむを知らんや。
13 思得瓊樹枝 思ふらくは 瓊樹の枝を得て、
14 以解長渇飢 以て長き渇飢を解かんことを。
よく読めないところも多々あるので、
もう少し継続してこの李陵詩に取り組んでみます。
なぜ、自分はこれを後続作品だと感じたのか、その直感は妥当なのか、
もし後出だとすれば、その成立はいつ頃、どのような環境においてであったのか等々、
すぐには解明できそうにない、解明できるかもわからない問題ばかりですが。
それではまた。
2020年2月27日
*黄節『曹子建詩註』巻1の導きによる。