やっぱり不分明な蘇李詩

昨日、李陵詩「晨風鳴北林」を、三国魏以降の作ではないかと推量しました。
ですが、なぜその作者名が伝わっていないのかが不審です。

この頃になると、すでに五言詩は知識人の表現様式として市民権を得ているからです。
たとえば、『文選』巻30・31に収められた「擬古詩」は、
西晋の陸機、東晋の陶淵明、劉宋の劉鑠らが署名付きで発表したものです。

ならば、前掲の李陵詩はやはり、
それほど下った時代ではない、後漢あたりの作なのでしょうか。

それなら、『文選』巻29所収の蘇李詩とはそれほど隔たっていないことになります。

ですが、『文選』所収の李陵「与蘇武三首」や蘇武「詩四首」と、
“出自未詳”の李陵「録別詩」や蘇武「答詩」(いずれも『古文苑』巻8)とは、
なにか質感が違うように感じられてなりません。

南宋の章樵は、前掲『古文苑』の注において、
北宋の蘇軾の説(李陵「答蘇武書」を擬作とする唐の劉知幾の説を引く)を紹介した上で、
李陵の書簡や蘇武の詩などがみな擬作で真偽を弁別できないのならば、
これらの数篇については言うまでもない、と述べています。

章樵が目睹した文献では、上述の二群の蘇李詩は区分されていたのでしょうか。

明代に成った『古詩紀』では、
巻2には、『文選』と同じく蘇武「詩四首」と李陵「与蘇武詩三首」を収め、
巻10には、「擬蘇李詩十首」と題して「李陵録別詩八首」「蘇武答詩二首」を収録しています。
「擬蘇李詩」は、『古文苑』から採ったものでしょう。

いわゆる蘇李詩と総称される作品群は、
今のところ、これを腑分けし得る確かな手掛かりが見当たりません。

行きどまりの壁に突き当たりました。
この問題は、しばらく寝かせておきたいと思います。

それではまた。

2020年3月6日