兄弟愛の詩か。
こんばんは。
このところ、兄弟間の切迫した関係がうかがわれる曹植作品を読んでいますが、
ふと、曹丕の次のような詩(『古詩紀』巻12)が目に留まりました。
兄弟共行遊 兄弟連れ立って遊びに出かけた。
駆車出西城 車を駆って西の城郭から外へ出て。
野田広開闢 郊外の田畑は広く開け、
川渠互相経 川や水路は互いに交わりあいつつ流れている。
黍稷何鬱鬱 もち黍うるち黍のなんと豊かに実っていることか。
流波激悲鳴 流れる波は哀感たっぷりな声を上げている。
菱芡覆緑水 ヒシやミズブキは緑なす水面いっぱいに茂り、
芙蓉発丹栄 ハスは深い朱色の花を咲かせている。
柳垂重蔭緑 柳は葉を垂れて緑陰を重ね、
向我池辺生 わが池のほとりに向かって立っている。
乗渚望長洲 渚に足を踏み入れて長く伸びる中洲を遠く眺めれば、
群鳥讙讙鳴 群なす鳥がクアンクアンと喧しく鳴きたてる。
萍藻泛濫浮 浮草は水面をたゆたいながら浮かび、
澹澹随風傾 ゆるやかに揺れ動きながら風に吹き寄せられたりしている。
忘憂共容与 憂いを忘れて共にゆったりと過ごそう。
暢此千秋情 君たちへのこの永遠なる情愛をどこまでも押し広げよう。
本詩は「於玄武陂作詩(玄武陂に於いて作る詩)」と題されています。
「玄武」は、左思「魏都賦」(『文選』巻6)に「菀以玄武、陪以幽林」と見え、
その張載注に「玄武菀、在鄴城西(玄武菀は、鄴城の西に在り」と説明されています。
また、『三国志』巻1「武帝紀」に、建安13年(208)、曹操が玄武池を作ったことが見えています。
玄武池は、元来は曹操が水軍を訓練するために設けたものですから、
それが游宴の場となるには、それなりの時間的熟成が必要であったかもしれません。
曹丕がこの詩を作ったのはいつ頃か。
それによって、この詩はかなり異なる表情を見せるように思います。
時間が下れば下るほど、どれほど無邪気に兄弟愛を歌っているのかが疑問になってきます。
詩語の選び方がやや雑駁に感じられるので、まだ若い頃の作だと見られるか、
それとも、そうしたことに年齢はあまり関係がないでしょうか。
2020年5月18日