門を出てから

こんばんは。

門を出て遠くを望むというフレーズは、漢魏の詩歌には散見するもので、
魏末を生きた阮籍の五言「詠懐詩」の中にも、たとえば次のような句が見えています。

歩出上東門 北望首陽岑  歩みて上東門を出で、北のかた首陽の岑(みね)を望む。(其九)*1
朝出上東門 遥望首陽基  朝に上東門を出で、遥かに首陽の基を望む。(其六十四)

「上東門」は後漢の都洛陽に実在した門の名で、
『文選』巻二十九「古詩十九首」其十三にもこう詠われています。*2

駆車上東門  車を駆って上東門から街を出て、
遥望郭北墓  はるかに遠く、城郭の北に横たわる陵墓群を眺めやる。

また、阮籍詩にいう「首陽」は、この古詩にいう「郭北墓」に重なると見ることができます。
というのは、首陽山の南麓には、魏の文帝曹丕の陵墓がありましたから。

こうしてみると、阮籍の詩が古詩「駆車上東門」を踏まえていることは間違いないでしょう。
上東門という固有名詞の共有や、
門を出た先に望み見るものが死者のすむ陵墓であるということ、
更に、この特徴的な措辞が、詩の冒頭に置かれているという点でも一致しています。*3

ところが、同じ阮籍の「詠懐詩」其三十は、
詩の冒頭で門を出たあと、何ものをも眺めやるということがありません。

駆車出門去  車を駆って門を出てゆき、
意欲遠征行  遠いところへ旅に出ようと思った。
征行安所如  遠く旅に出て、どこへたどり着こうというのか、
背棄夸与名  虚ろな名誉など後ろへ投げ捨てるのだ。
……

「駆車」して門を出ているところから、
この詩もまた、古詩「駆車上東門」を念頭に置いていたかと思われます。

ですが、門を出た後に見えてくるはずの風景は見えず、
代わって詠じられるのは、捨て去ってしまいたい現実ばかりです。
原型をほとんど留めていない、いや原型など最初からなかったかのような生々しさです。

2020年5月19日

*1 作品番号は、黄節『阮歩兵咏懐詩注』(中華書局、2008年)に拠った。
*2 古詩「駆車上東門」は、後漢初期の作と推定できる。古詩の成立年代については、拙著『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)の第一章から第三章を参照されたい。
*3 阮籍「詠懐詩」其九と古詩との関係については、前掲『漢代五言詩歌史の研究』の終章で論じたことがある。→こちらにその一部を挙げておくのでよろしかったらどうぞ。