曹植から見た魏王朝
こんばんは。
曹植「雑詩六首」其一(『文選』巻29)について、
過日は、詩中になぜ南方にいる人が詠じられているのかという点に着目し、
この詩が「贈白馬王彪」詩とその成立背景を共有している可能性を指摘しました。
今回は、本詩の冒頭「高台多悲風、朝日照北林」について、気づいたことを記します。
「高台に悲風多し、朝日は北林を照らす」とは、何を象徴しているのでしょうか。
この時代の詩ですから、まず純然たる叙景とは考えられません。
『文選』李善注は、次のような解釈をしています。
「高台」については、陸賈『新語』を援用しながら、それを京師(都)の喩えだとし、
「悲風」は教令、「朝日」は君主の聡明さ、「北林」は狭い所に集う小人を象徴するとしています。
どうもしっくりきません。
そこで調べてみると、
「高台」「朝日」「北林」はいずれも、曹丕の楽府詩に見えるものでした。
まず、曹丕「善哉行」(『宋書』巻21・楽志三)の第一解は、
「朝游高台観、夕宴華池陰(朝に高台観に游び、夕べに華池の陰に宴す)」に始まり、
第四解には「飛鳥翻翔舞、悲鳴集北林(飛鳥は翻翔して舞ひ、悲鳴して北林に集ふ)」とあります。
(「北林」に関しては、「又清河作」(『玉台新詠』巻2)にも見えていました。)
また、別の「善哉行」(『宋書』巻21・楽志三)の第一解にはこう見えています。
朝日楽相楽、酣飲不知酔。悲絃激新声、長笛吐清気。
(朝日楽しみて相楽しみ、酣飲して酔ひを知らず。悲絃は新声を激しくし、長笛は清気を吐く。)
曹丕のこの二首の「善哉行」は、いずれも見てのとおり宴の詩です。
曹植はそれまでに、曹丕のこれらの歌辞が歌われるのを耳にしたことがあったでしょう。
曹植「雑詩」の冒頭句は、これを踏まえて成ったものではないでしょうか。
ならば、それは君臣が相集う朝宴を想起させるものとなります。
そして、曹植は、そうした場を「悲風多し」と描写しているのでした。
この「高台多悲風」という冒頭句は、
彼の「野田黄雀行」(『楽府詩集』巻39)の第一句「高樹多悲風」と瓜二つで、
この楽府詩は、魏王曹丕による丁儀丁廙兄弟の処刑を背景とする、とみる説が有力です。
「雑詩」其一もまた、魏王朝の犠牲者(曹植自身を含む)に心を傷める詩だと読めるように思います。
2020年5月23日