元白応酬詩札記(6)
こんにちは。
昨日の話の続きです。
白居易の「禁中夜作書与元九」(『白氏文集』巻14、0723)に対応する詩として、
次に示す元稹「書楽天紙」詩(『元氏長慶集』巻18)が伝わっています。
金鑾殿裏書残紙 金鑾殿の中で、残りものの紙に書かれた、
乞与荊州元判司 荊州の元判司に与えるという文字。
不忍拈将等閑用 いただいた紙をつまみ上げて、いい加減に用いるのには忍びないから、
半封京信半題詩 半分には都への便りをしたため、半分には詩を書きつけよう。
この詩には、なにかひどく屈折したものを感じます。
まず、1句目の「残紙」は、王朝から諫官に支給された紙のことを指し、
この紙は、たとえば「酔後走筆、酬劉五主簿長句之贈……」(『白氏文集』巻12、0584)に、
「月慙諌紙二百張(月ゞに慙づ 諌紙二百張)」と見えていますが、
それを“残り物の紙”と言っていることに目が留まります。
また、2句目「乞与荊州元判司」について、
「荊州元判司」は、意味としては荊州で士曹参軍を務めている元稹を指し示すだけですが、
「判司」は州郡の属官をいい、1句目の「金鑾殿」との落差が際立っています。
しかも、その上にある「乞与」は、何か上位者の奢りのようなものを感じさせます。
元稹が白居易からの贈り物を、“贈る”ではなく“与える”と表現したのはなぜでしょうか。
3句目「不忍拈将等閑用」にも、かすかな不協和音を感じます。
「拈」は指でつまみあげるの意。それに接尾辞の「将」が付いています。
「等閑」という語ともあわせて、それをすることを「不忍」と言っているのですが、
却って、そうしたぞんざいな行為が、一旦は念頭に上がったのかとさえ思わせられます。
加えて、この詩は白居易の手に渡ったのかも不明です。
本詩の題名は、「楽天の紙に書きつけた」と言っているだけですから。
このように、元稹のこの詩には何か釈然としないものを感じるのですが、
それは、白居易と元稹に対して私たちがある種の先入観を持っているためかもしれません。
彼ら二人は、生涯を通して、ゆるぎない友情で結ばれていたという神話です。
前掲の白詩が作られたのは元和五年(810)、
当時白居易は、京兆府戸曹参軍で天子直属の翰林学士を兼任していました。
一方、元稹は以前にも述べたとおり、この年の春、江陵府士曹参軍に左遷されました。
その理由は、河南尹の房式の違法行為を暴いたのが官界の連中に憎まれたためで、
白居易は、再三元稹を弁護しましたが認められませんでした。*
こうした中、元稹がひどい屈託を抱えていても不思議ではないし、
白居易は、この元稹の気持ちを、まだ本当のところでは理解していなかったかもしれません。
たとえ元稹の行為や人柄に対して全幅の信頼を寄せていたとしてもです。
2020年7月7日
*この間の経緯については、平岡武夫『白居易(中国詩文選17)』(筑摩書房、1977年)が詳しい。