曹植の憤懣

こんばんは。

曹植の「求自試表(自ら試みられんことを求むる表)」(『文選』巻37)は、
魏の太和二年(228)、明帝に奉られたものです(『三国志』巻19「陳思王植伝」)。
その中に、次のような句が見えます。

今陛下以聖明統世  今、陛下はすばらしき聡明さを発揮して世の中を統治され、
 将欲卒文武之功  周の文王や武王による草創期の功績を見届け、
   継成康之隆  成王や康王の隆盛を継承しようとしていらっしゃいます。

このように、この時期の曹植は、明帝を成王になぞらえようとしていること明白です。
すると、必然的に曹植自身は周公旦に比定されることになるでしょう。

先に取り上げた曹植「惟漢行」の最後の段には、
周公旦が周文王を顕彰して成王を戒める、『書経』無逸篇が踏まえられていました。

明帝期の作であることが明らかな「求自試表」にも、
周文王の直系に当たる王たちの名が見えていることを考え合わせると、
「惟漢行」を明帝期の作とする推定は、かなり説得力のある説だと言えるように思います。

ところで、『三国志』本伝はこの上表文を引くに先立って、
「植常自憤怨、抱利器而無所施(植は常に自ら憤怨す、利器を抱きて施す所無きを)」と記しています。
このとおりだとすると、
彼の「惟漢行」は彼自身の内にしまい込まれたりせず、
朝廷においてではないにせよ、実際に声に発して歌われていたかもしれないと思えてきます。
そして、そうした姿勢がいよいよ彼に対する風当たりを強くしていったのかもしれません。

2020年7月20日