中国文学における犬と猫
こんばんは。
中国文学において、犬は比較的早い時期から志怪小説などに登場します。
たとえば、三国呉の李信純が、愛犬黒竜の犠牲により命拾いした故事(『捜神記』巻20)、
また、西晋に出仕した陸機と、彼の郷里の呉の家とを結ぶ、
犬のメッセンジャー黄耳の逸話(『藝文類聚』巻94に引く『述異記』)など。
また、特に中唐の頃から、詩の中でも、犬が生き生きと描かれるようになります。*
ところが、猫は犬に比べて詩文に現れることが非常に少ない。
これはなぜでしょうか。
まず、猫は詩文にあまり描かれてこなかったとはいえ、
他の文明と同様に、古来、人間と非常に近しい間柄であったことは間違いありません。
儒教の経典のひとつ、『礼記』郊特牲に、
旧暦十二月の蜡(農耕により天から受けた恩恵に感謝する祭)において、
様々な物の神や禽獣を迎えて饗応することが述べられ、
続いて次のような記述が見えています。
古之君子、使之必報之。迎猫、為其食田鼠也。迎虎、為其食田豕也。迎而祭之也。
古代の君子は、あるものを用いれば、必ずそれに返礼した。
猫を迎えるのは、それが田畑を荒らす鼠を食べてくれるからだ。
虎を迎えるのは、それが田畑を荒らすいのししを食べてくれるからだ。
だから、それらを迎えて祭ったのである。
このように、猫はとても身近で有益な動物であったと言えます。
ですが、人々が思い描く猫のイメージは、あまりよいものではありません。
そのことがよくわかる記事として、たとえば『旧唐書』巻82・李義府伝の次のくだりがあります。
李義府は、唐代初めの宰相で、見た目は温厚そうですが、実は心が狭く陰険で、
一旦権力を握ると、少しでも自分の意に沿わない者はすぐに陥れたため、
時の人は「義府は笑中に刀有り」と評したと記されていますが、
この彼の為人は、また次のようにも評されています。
以其柔而害物、亦謂之李猫。
其の柔にして物を害するを以て、亦た之を李猫と謂ふ。
他方、韓愈の「猫相乳」には、次のような心優しい猫の逸話が記されていますが、
興味深いのは、それが猫にもともと仁義が備わっているからではなく、
飼い主の感化によるものだとされていることです。
司徒北平王家猫有生子同日者、其一死焉、有二子飲於死母、母且死、其鳴咿咿。其一方乳其子、若聞之、起而若聴之、走而若救之。銜其一置於其棲、又往加之、反而乳之、若其子然。噫、亦異之大者也。夫猫、人畜也。非性於仁義者也。其感於所畜者乎哉。……
司徒・北平王(馬燧)の家の猫に、同じ日に子を産んだものがいたが、その一方は死んで、二匹の子らは死んだ母から乳を飲むことになり、母猫がまさに死ぬとき、その子らはミーミーと鳴き声を上げた。そのもう一方の母猫は、自身の子に乳をやっていたが、鳴き声を耳にすると、起き上がって耳を傾け、走っていってこれを救った。その一匹を口にくわえて住処に運び入れると、また行って連れてかえってこれに加え、戻ってからこの子らに授乳すること、その実の子に対するのと同様であった。ああ、またなんと奇特な出来事の最たるものであろうか。そもそも猫は人畜であるから、本性が仁義にあるわけではない。それは、これを養う人間に感化されたものであろうか。……
中国古典の世界では、かくも人間中心なのだと思い知らされました。
人間の徳目に合致するかのような習性をたまたま持つ犬と、
そういうものとは無関係なところで自由気ままに生きている猫と、
褒められようが、無視されようが、犬は犬、猫は猫だと私は思いますけれども。
2020年8月1日
*河田聡美「イヌのいる風景―唐詩に描かれたイヌたち―」(『中唐文学の視角』創文社、1998年)を参照。(このことについては、2020年8月3日追記)