文学研究にできること
こんばんは。
津田資久「曹魏至親諸王攷―『魏志』陳思王植伝の再検討を中心として―」(『史朋』38、2005年)
が届きました。以下、その概略を記しておきます。
『魏志』陳思王植伝の記述内容には、
『陳思王曹植集』に収録されていたと見られる佚文等と食い違う点が少なくない。
本伝は、「不遇」を訴える曹植自身の文章を巧みに取り入れながら作り上げられたものであり、
事実としては、彼の処遇には後漢時代の諸王と比べてそれほどの落差はない。
このように、陳寿が事実を歪めてまで曹植の不遇を強調しようとしたのは、
西晋当時の、武帝司馬炎による、同母弟・斉王攸に対する冷遇という問題に対して、
これを批判する立場を陳寿が取っていたためである。
他方、曹植らが王朝運営への関与を強く望んだことの思想的背景として、
積極的に至親輔政を主張する『周礼』国家観の高まりがあった。
これも斉王攸の輔政を望む世論と重なっている。
司馬炎と斉王攸との関係が、曹丕と曹植との関係に重なるということには、私も同感です。
(西晋王朝で、曹植「七哀詩」が「怨詩行」に改変されて歌われたのも同源だと考えます。)
他方、陳寿の『三国志』執筆に、そこまでバイアスがかかっているとは思い至りませんでした。
たしかに、曹植の事績が史料によって食い違い、事実を突き止め難いことは多いです。
今後は、正史の本文だからといって鵜呑みにしないように注意したいと思います。
今回も、非常に多くの史料や先行研究を教えられました。
その一方で、では、文学研究の立場としてできることは何だろうとも思いました。
曹植の訴えを主観的な自己申告とみなし、その信憑性を検討することが本当に必要なのか。
そもそも文学に、客観というものがあるのかどうか。
その言葉を残した人にとっての内的真実があるだけなのではないか。
そこを全力で掘り下げることによって、はじめて歴史学と対等の立場に立てるのだと思います。
2020年8月27日