区切られた時間の共有

こんばんは。

本日、やっと動画作成の作業が終わりました。
完璧さを目指すより、予想外のことが生じる面白さに賭ける、
とか昨日は豪語していましたが、
結局、そんなミラクルは起こることもなく、
あちらこちらに小さな綻びがあるといった風なものになりました。
話している最中に、スライドの中にある衍字に気づいて急遽訂正する、
といった大破綻さえもありましたが、もうそれはそのまま残すことにしました。

で、オンライン授業と何が違っていたのだろう、と考えてみました。
授業では、自分としては例年になく、“ミラクル”が多かったものですから。
(聞いている学生さんたちからしたら、“?”だったかもしれませんが。)

使っているのは、同じパワーポイント、PCももちろん同じです。
それで、違っているのは、聞いている人たちとの時間の共有の有無だと思い至りました。

リアルに目の前に学生さんたちがいなくても、
授業の時間が来ると、[会議室]にひとりまたひとりと受講生が入って来ます。
そして、その学生さんたちと、限られた時間を共有しながら、何事かを進めていくのです。
その時間は二度と後戻りできないものです。
この固有の一回性が、ある種の圧になっていたのかと思い至りました。

いつでも視聴できるものとして提供する動画には、それがない、
だから、完成度も高くなく(これは私に限ってのことです)、
かといってライブ感覚にも乏しいものになったのだなとわかりました。

とはいえ、期限までに提出するという限定的時間の中では精いっぱいやりました。
ひとりでも受講希望者がいる限りは全力を尽くします。

2020年8月30日