時を刻む月

こんばんは。

一昨日ほど前から、夜空の月が明々ときれいです。
今年は冬から春を経て夏へと、ほとんど季節感のない日々を送りながら、
満ち欠けを幾度も繰り返す月に時の移ろいを実感していました。
先日、新月の闇から出発したと思っていたのに、
もう満月が明後日に迫っています。

唐の詩人たちは、満月を眺めては遠くにいる人に思いを馳せますが、
それだけでなく、月に時の経過をも感じていたのではないかとふと思いました。

元稹に「江楼月」という詩があります。
この詩は、先に白居易詩との関係で触れたことがありますが
彼が江陵に左遷される前の年、東川(四川省)への旅の途上で作った詩です。

嘉陵江岸駅楼中  嘉陵江の岸辺、駅舎の高楼の中、
江在楼前月在空  江水は高楼の前を流れ、月は空に懸かっている。
月色満牀兼満地  月光の色はベッドに満ち溢れ、そして地上にもあまねく満ちていて、
江声如鼓復如風  江の水音は、打ち鳴らす太鼓のようであり、また吹きすさぶ風のようでもある。
誠知遠近皆三五  たしかに、遠い都もここも、いずこも同じ十五夜であることはわかってはいるが、
但恐陰晴有異同  ただ、晴れているかどうか、天気に違いがあるのではないかと心配だ。
万一帝郷還潔白  もし都がまた白々と輝く清らかな光に照らされているならば、
幾人潜傍杏園東  何人か、こっそりと杏園の東に近づいて月を愛でているだろうか。

元稹は、都を離れてから毎夜、形を変えていく月を眺めてきたのでしょう。
あるいは蜀への出張を前に、都の友人たちと満月を愛でつつ宴を楽しんだのかもしれません。
そう想像するならば、最後から二句目、「還」と言っているわけが納得できます。

月は、広大な空間を超えて人と人とを結びつけるだけでなく、
その満ち欠けが、積み重なってゆく時の経過を刻むものでもあると実感しました。

2020年8月31日