インとアウト
こんばんは。
先日触れた、荀勗の作と伝えられている儀式的歌辞を今日も読みました。
ザ・中華思想とでもいうべき、異民族政策の勝利を歌い上げる内容の歌辞です。
3世紀くらいの東アジアでは、唯一の文明圏は中国大陸だと言えることはたしかなので、
四方の異民族国家が自分たちに帰順してくることを誇らしげに歌うのは当然かもしれません。
でも、同じことをもし現代人が言ったならば、正気かどうかを疑います。
思えば、かつてはこのような考え方が常識だったわけで、
当時の詩人たちの誰もが、こうした中華思想をベースに発想していたはずです。
(それが永遠不滅の絶対的思想でないことは、その渦中にいる限りはほとんど感知できません。)
でも、その中で、生き残っている作品と、そうでないものとがある。
その生死を分けるものは何なのでしょうか。
その当時、完全にインであったものは、
少し時代が移ろうと、すぐにアウトになるものだと思います。
では、その渦中にありながら、そこから外れた視点を持つことは可能でしょうか。
それが可能であることを、今も生き残っている作品が示唆してくれていると思います。
なんだか繰り返し同じようなことを考えているようですが、
それは、自身が携わっている分野の存続に、絶対的な確信が持てないからです。
完全にインであるような論文ばかりを書いていたのではだめだと思う。
2020年9月2日