既存の言葉の直接引用

こんばんは。

先日にも触れた西晋王朝の宮廷儀式で歌われる歌辞を、研究会で読みました。

経書の一句をまるごと引いたかと思えば、
それと対を為すような部分で何もそれらしい典故表現が認められない、
あるいは、漢字そのものはよく見かけるが、その語順が見慣れたそれではない、
そんな事例が比較的多く目についたものですから、
先には、荀勗は詩作が下手なんだろうかなどと書いたのですが、
安易にそんなことを言っていた自分がはずかしいです。

経書をそのまま引く場合は、私にも比較的アプローチしやすいのですが、
それにアレンジが加わっている場合や、発想のみが踏襲されているような場合は、
実は、これを読む側の経験値が試されるのですね。
そして今回、自身の至らなさを思い知らされることしきりでした。

それから、経書の句をまるごと引く部分がある一方、
曹操が後漢末においてその地保を固めていったことを示す公的文書や、
後漢王朝が曹丕に禅譲し、魏王朝が成立したことを宣言する公的文書などを、
一句そのままのかたちで引く箇所も少なからず認められました。
なぜ荀勗は、そうした類の文章の、直接引用を敢えて行ったのでしょうか。
西晋王朝の草創期に、こうした歌辞が作られたことの意味を考えてみたいと思います。

2020年9月6日