大きな懐を持つ人

こんにちは。

白居易は「相思相愛」の人だと昨日は書いたのですが、
それは、相手の気持ちも無視して自分の思いを押し付けるということではないと思います。
相手がどう受け取るかは措いておいて、自分の思いはこうなんだと堂々と言う。
だから、たとえ相手の不興を買ったとしても、それはそれとして受け止め、
自分の方に非があったとはそれほど考えない。
自分の相手への思いに嘘はないから、ということでしょうか。

このあたり、私にはどうもまだ納得のいく考察ができていません。

元稹からの応酬詩に、自身の元稹への思いを「瞥然塵念」と表現された白居易が、
その数年後、相手に宛てた書簡の中に、この語をさらりと混ぜている、
それをどう解釈したものか、いまだに呑み込めないのです。
(先にこちらでも考察を試みたのですが。)

元稹の「酬楽天八月十五夜禁中独直玩月見寄」詩は、
一見不機嫌そうに肩ひじを張った辞句で埋め尽くされているのですが、
それは、深い信頼関係で結ばれた二人だからこそ成り立つ表現であったのかもしれません。

あるいは、元稹は親友である白居易に対して負の感情をも遠慮なくぶつけたが、
白居易はそれを大きな懐で受けとめ、若干の諧謔の気持ちをも交えて、
数年後の書簡の中に「瞥然塵念」という語を混ぜ込んだのか。

かなり長い間、この語を記憶にとどめていたわけですから、
白居易にとって、かの元稹の応酬詩はかなり堪えるものだったとも考えられます。

彼らの友情を深く理解するためには、
更に多くの作品を読み、また、自身の心情を耕す必要があると思います。

2020年9月15日