曹氏兄弟の仲について追補
こんばんは。
一昨日、建安十六年(211)、曹丕が五官中郎将に任命されたことは、
彼が事実上の太子となったことを意味すると論じる先行研究を紹介しましたが、
このことの証左となり得る曹植作品が目に留まりました。
それは、「離思賦」序(『曹集詮評』巻1)で、次のとおりです。
建安十六年、大軍西討馬超、太子留監国、植時従焉。意有憶恋、遂作離思賦云。
建安十六年、大軍は西のかた馬超を討つに、太子は留まりて国を監、植は時に焉に従ふ。
意に憶恋有り、遂に離思の賦を作りて云ふ。
この序が、もし建安十六年当時に書かれたものだとするならば、
曹植は当時、曹丕のことを「太子」と呼んでいることがここに明らかです。
(序は、後から当時のことを追想して作られた可能性がないではありませんが。)
「憶恋」の対象は曹丕であり、
「離思」とは、兄と離れ離れになっていることへの憂いでしょう。
そう解釈することが妥当であるならば、
この当時はまだ曹氏兄弟の仲は引き裂かれてはおらず、
曹植は兄曹丕を慕っていると知られます。
2020年9月25日