李善注所引テキストと現行本
こんばんは。
このところ、曹植作品訳注稿がさっぱり進みません。
それで、毎日の生活の中で、歩くように、呼吸するように進めようと思い立ち、
今朝、その小さな日課をスタートさせました。
ところが、さっそく困ったことが生じて立ち止まり、
なぜ、この作業が遅々として進まないか、改めてそれが分かりました。
いっぺんに完成形に持っていこうとするからいけないのですね。
最近、断続的に訳注に取り組んでいるのは、
曹植「薤露行」との関連性が指摘されている「与楊徳祖書」(『文選』巻42)です。
『文選』所収作品は、基本的に李善注に従って読んでいますが、
困るのは、李善注に指摘する文献と現行本とが時々食い違っていることです。
その乖離が、李善の単純な記憶違いによるのか、
当時、複数存在していたテキストのうち、
李善が見たものと、今に伝わるものとが違うということなのか、
それとも、李善注に記されたテキストが、伝写の過程で書き誤られてしまったのか、
判断しづらいことが多い。
加えて、李善注に指摘された文献の現行本について、
その注釈書などで、当該テキストに異同のあることが指摘されている場合もあります。
今日も、『淮南子』にそのようなケースがありました。
それで、語釈にどう記したものか、考えあぐねていたのですが、
困ったことをそのまま記しておいて、後から剪定していけばよいのでしょう。
そもそもそれが可能だから、随時修正を前提として、
こうした場に少しずつ公開していこうと考えていたのでした。
2020年9月27日