李善の取捨選択

こんばんは。

『文選』巻42所収の曹植「与楊徳祖書」の中に、次のような句が見えます。

吾王於是     吾が王は是に於いて
設天網以該之、  天網を設けて以て之を該(つつ)み、
頓八紘以掩之、  八紘を頓(くだ)して以て之を掩(おほ)ひ、
今悉集茲国矣。  今 悉(ことごと)く茲(こ)の国に集まれり。

曹操が天下に網を敷き広げ、八方に天地をつなぐ綱を垂らして、人々を広く覆い取った結果、
優れた文人たちがこぞってこの魏の国に集まった、と。

これに非常によく似た表現が、
馬融の「広成頌」(『後漢書』巻六十上・馬融伝)に、
「挙天網、頓八紘(天網を挙げ、八紘を頓ふ)」と見えています。
ただ、この対句は、人ではなく、鳥獣を捕獲することをいう場面に出ています。

だからなのか、李善はこれを取らず、
ほぼ馬融と同時代の崔寔「政論」(佚)にいう、*
「挙弥天之網、以羅海内之雄(弥天の網を挙げて、以て海内の雄を羅す)」と、
『淮南子』地形訓にいう、九州の外の八殥、八殥の外にある「八紘」を挙げています。

ですが、語句の類似性から言えば、曹植の表現は圧倒的に馬融「広成頌」の方に近い。
ならば、これをそのまま挙げるわけにはいかないのでしょうか。
ここでは人を一網打尽にするような言い方をしているのだと捉えてしまうのです。

おそらく李善は、馬融「広成頌」のあることを知っていながら、
人を禽獣扱いするわけにはいかないと判断し、
上記のような取捨選択をしたのではないかと思われます。
けれども、そのことと引き換えに、
曹植作品が元来持っていた荒削りな勢いが削がれるようにも感じられます。

2020年9月28日

*「政論」、李善注は「本論」に作る。今、厳可均『全後漢文』巻四十七に従う。