袋小路
こんばんは。
曹植「与楊徳祖書」(『文選』巻42)の続きを読み進める中で、
本文と李善注との小さな食い違いに遭遇しました。
次のようなフレーズです。
蓋有南威之容、乃可以論於淑媛 蓋し南威の容有りて、乃ち以て淑媛を論ずべく、
有龍泉之利、乃可以議於断割 龍泉の利有りて、乃ち以て断割を議すべし。
思うに、南威のような美貌を持っていてこそ美人について論評でき、
龍泉のような鋭利さがあってこそ、剣の切れ味を批評することができるのだ。
「南威」は、「南之威」とも表記され、
『戦国策』巻二十三・魏策二に、晋の平公を魅了した美女として見えています。
これと対を為す「龍泉」は、名剣の名称で、その産地に因んでこう呼ばれます。
李善注は、『戦国策』巻二十六・韓策一に、蘇秦が韓王を説得するセリフ中に見えることを指摘します。
ところが、少しばかり引っかかるのは、
『戦国策』の方は「龍泉」を「龍淵」に作っていて、本文と食い違っていることです。
「泉」も「淵」も、意味としては同じようなものですが、
李善はこうした場合、大抵、両者は通じるのだということを注記しますから。
また、『戦国策』以外の文献で、同じこの名剣を「龍泉」と表記するものは少なくありません。
それなのに、李善注は「龍淵」に作る『戦国策』を出典として指摘しています。
(「南威」に対して『戦国策』を注記したのと合わせたのでしょうか。)
他方、『三国志』巻19・陳思王植伝の裴松之注に引く本作品は、「龍淵」に作っています。
もしかしたら、『文選』の本文も、もとは「龍淵」に作っていた、
それを、唐王朝の高祖李淵の諱を避けて、「龍泉」に表記しなおしたのでしょうか。
李善注が「龍淵」に作る『戦国策』を挙げているのは、その証左かもしれない。
ですが、それなら、唐代の李善注が「淵」を温存させているのなぜか。
やっぱり不可解です。
極小サイズの袋小路に入ってしまいました。
2020年10月12日