曹植における「惟漢行」制作の動機
こんばんは。
先週末、六朝学術学会報に論文を投稿しました。
「曹植における「惟漢行」制作の動機」というタイトルで、
その内容は、以下のとおりです。
(このところ、ここに考察経過を書いてきた内容を練り直したものです。)
曹植の「惟漢行」は、
自身を周公旦に重ねつつ、即位したばかりの明帝を戒める詩である。
本歌の曹操「薤露・惟漢二十二世」が持つ挽歌としての要素を、この詩は持たない。
それなら、他の楽府題に乗せて詠じてもよかったはずだ。
では、なぜ敢えて曹植は、曹操の「薤露」に基づくことを標榜したのか。
それは、彼自身の若い頃の作「薤露行」の続編であることを示すためである。
「薤露行」は、明君を補佐することへの意欲を高らかに詠じた作品で、
その明君とは、父であり魏国王である曹操である。
曹植は、父の生前、その期待を裏切ってばかりの不肖の息子であったが、
甥の明帝が即位するに至って、
自身が周公旦に相当する立場にあることに改めて思い至った。
そして、周文王に匹敵する我が父曹操の事績を示しつつ、
成王に当たる若き明帝を補佐しようという志を「惟漢行」に詠じたのである。
これは、亡き父から受けた恩愛に報いることであり、
不甲斐ない過去の自分をもう一度生き直そうと宣言することでもあった。
ひとつ、後から書けばよかったと思ったことがあります。
それは、曹操自身も自らを周公旦になぞらえているということです。
このことについてはまた明日に。
2020年11月2日