曹植「与楊徳祖書」の目的

こんばんは。
久しぶりにここに戻ってきました。

先週、やっと曹植の「与楊徳祖書」の通釈を終えました。
まだ解題ができていないので、訳注稿に提示することはできていませんが。

改めてこの書簡の全体を通して訳出すると、
いよいよその内容を過たず把握することの難しさを痛感しました。
話題があちらこちらへと散って、表面上ではその一貫性を見出しにくいのです。
ですが、散らばった話題が相互に伏線となって絡み合いつつ、
ひとつの依頼を為しているようにも読めます。

この書簡は何を目的としてしたためられたものなのか。
それは、この文献が文学評論の資料として取り上げられることとは別に、
一度きちんと押さえておくべき問題ではないかと思いました。

この問題を解明するためには、
楊修からの返書「答臨淄侯牋」(『文選』巻40)を押さえる必要があるでしょう。
ただ、楊修のこの文章もまた、その真意を明確には記していません。

とはいえ、両者の書簡いずれにも、
具体的な辞句の裏側、意識の底に流れているものがあるはずです。
耳を研ぎ澄ませば、それを聴き取ることができるでしょうか。

2020年11月16日