第三者に読まれる手紙
こんばんは。
以前にも触れたことがありますが、
曹植「与楊徳祖書」(『文選』巻42)と、楊修の「答臨淄侯牋」(『文選』巻40)は、
曹丕に読まれていた可能性が極めて高いと判断されます。
楊修が、曹植とのやり取りの中で紡ぎだした、
「不忘経国之大美、流千載之英声(経国の大美を忘れず、千載の英声を流す)」が、
曹丕「典論論文」(『文選』巻52)にいう、
「蓋文章経国之大業、不朽之盛事(蓋し文章は経国の大業、不朽の盛事なり)」と酷似し、
曹植・楊修の往復書簡と、曹丕の「典論論文」とでは、
前者が後者に先行していること、すでに先行研究によって論証されています。*
ということは、曹丕が楊修の書簡からかの文辞をいただいたということになるでしょう。
曹丕「典論論文」の冒頭にいう「文人相軽んず」の言も、
前掲の先行研究が夙に指摘しているとおり、
曹植の書簡に開陳されていた、無防備な文人批評を意識してのものでしょう。
当時、書簡はすでに文学的に成熟していたので、
これを第三者が読むことは大前提とされていたのでしょうか。
それとも、父曹操の後継者をめぐる緊迫した情況の下、
曹丕は曹植らの書簡を盗み見ながら、その動向に目を光らせていたのでしょうか。
曹植がその書簡の末尾にいう「書不尽懐(書は懐ひを尽くさず)」、
あるいは、楊修の返書の、真意を隠すかのような持って回った述べ方の背後には、
もしかしたら、そうした事情が隠されているのかもしれません。
曹植は何ものにも頓着していない可能性もありますが、
少なくとも楊修の書面が見せる韜晦の表情は、
注意深く構えられたものと見た方がよいように思います。
2020年11月17日
*岡村繁「曹丕の「典論論文」について」(『支那学研究』第24・25号、1960年)を参照。