はやる気持ちで書いた文章
こんばんは。
少しずつ曹植「求自試表」を読み進める中で、
ふと、この作品は、短期間で一気に書き上げられたのかもしれないと思いました。
本作品は、『魏志』巻19・陳思王植伝、太和2年(228)の条に引かれており、
ということは、この年に書かれたと見てよいでしょうが、
その中に、同年9月、曹休が呉の陸議と戦って敗れたことへの言及が見えているのです。
そうすると、その制作時期はごく短い期間に絞られることになります。
趙幼文『曹植集校注』(人民文学出版社、1984年)p.379は、
この「求自試表」の成立背景について、次のように推論しています。
前述の呉との戦いの後、曹休が亡くなって、
同年10月、公卿近臣に、優秀な将軍各一人の推挙を求める詔が出されたが、
曹植のこの上表文は、この求めに対して、自ら応じる趣旨で作られたのではないか、と。
そうなのかもしれません。
それは、本作品が主張する内容ともよく合致します。
曹植はこの文章を、焦燥感に駆り立てられつつ書いたのかもしれません。
時に、文章に小さい綻びのような乱調が感じられるのも、
あながち気のせいとも言えないかもしれません。
まだ全文を読み通したわけではないので、あくまでも感触ですが。
2020年12月18日