陸機と曹植(再び)

こんにちは。

西晋の陸機が、曹植の文学作品を読み込んでいたらしいことは、
かつてこちらで述べたことがあります。
また、陸機の「文賦」に見えるある対句表現が、
曹植「七啓」を踏まえた可能性があると先日指摘したところです。
本日、『曹集詮評』の校勘作業をしていて、
これもまた、陸機が曹植から受け取ったものかもしれないと思う事例に出会いました。

曹植に、亡父曹操を追慕する「懐親賦」という作品があります。
これを収める『初学記』巻17は、この作品に続けて陸機の「思親賦」を引き、
『藝文類聚』巻20では、陸機の「祖徳賦」「述先賦」「思親賦」の三篇が曹植作品に続きます。

曹植以前の両漢代、
辞賦文学にこのような主題を真正面から取り上げるものがあったのでしょうか。
すべて調べたわけではない、従って単なる印象に過ぎないのですが、
漢代の賦といえば、規模の大きな、宮廷文化に密着した作品がまず思い起こされます。
たとえば班固の「両都賦」や張衡の「南都賦」など都城を詠ずるもの、
皇帝の狩猟や広大な宮苑を詠じた司馬相如の「上林賦」や揚雄の「羽猟賦」など。

他方、魏の時代、創作活動のサロン化に伴い、
賦というジャンルが小品化したことは定説と言ってよいでしょうが、
曹植の「懐親賦」はそうした作品群とも異なっています。

もし、曹植のこの作品が、辞賦文学に新たなテーマをもたらしたのだとすれば、
それは陸機を励まし、創作意欲を大いにかき立てたかもしれません。
曹植にとって曹操が偉大なる父であったのと同様に、
陸機にとって祖父の陸遜と父陸抗は、敬愛し、誇りに思う存在でした。
また、辞賦文学は、その源流をたどれば、わが故郷の南方に由来する文学様式でした。
この文学様式に、このようなテーマを盛ることができるのだと、
彼は、もしかしたら曹植の作品に意を強くしたかもしれないと想像しました。

もちろん十分な調査をした上でないと確かなことは言えませんが。

2021年1月5日