先輩に学ぶ曹植
こんにちは。
牛の歩みで読み続けている曹植「求自試表」(『文選』巻37)、
今日は次のような表現に遭遇しました。
曹植が古籍を読むたびに慨嘆したという、
忠臣義士たちのあり様について述べた部分にこうあります。
身雖屠裂、而功銘著於景鍾、名称垂於竹帛、
身体は八つ裂きにあっても、
その功績は景鍾(晋の景公が作った鍾)にくっきりと刻まれ、
その名は竹帛に記されて後世に伝えられる、
これとよく似た表現が、
楊修「答臨淄侯牋」(『文選』巻40)にも、次のとおり見えています。
若乃不忘経国之大美、流千載之英声、銘功景鍾、書名竹帛、
斯自雅量素所畜也。
経国の大業を忘れず、千載の名声を流し、功を景鍾に刻まれ、名を竹帛に書かれる、
こうしたこととなると、これはあなたの雅量がもとより蓄えていたものによるのです。
ちなみに、李善注は曹植と楊修いずれの作品に対しても、
表現の典拠として、『国語』晋語七、『墨子』兼愛下を挙げています。
前者は、晋の悼公が魏顆の子の頡を採用して、その父の武勇を語って聞かせるという記事、
後者は、功績を竹帛、金石、槃盂に刻んで、後世の子孫に伝えるという記述です。
先に、この上表文が短期間に作られたと見られることを述べましたが、
そうした創作においては、真に血肉化した言葉であってこそ自在に出てくるものでしょう。
曹植は、若い頃に傾倒した楊修の、それも自身に直接宛てられた言葉を覚えていて、
それが思わず口をついて出てきたのかもしれません。
(ありふれた発想を、楊修も曹植も用いたのだという可能性もなくはないですが。)
2021年1月11日