兄弟を思う賦

こんばんは。

曹植には、今は亡き父を追慕する「懐親賦」という作品があって、
これを踏襲したと見られる作品が陸機にあることは、先にこちらで述べました。

これと同質の継承関係かと思われる事例が、『藝文類聚』巻21「友悌」に見られます。
すなわち、兄弟への思いを詠じた曹植の「離思賦」「釈思賦」に続けて、
陸機の「述思賦」が採録されているのがそれです。

辞賦文学としては、そのテーマが非常に個人的な小品ですが、
そうした作品は、曹植以前の時代、それほど一般的ではなかったかもしれない、
それを陸機ががっちりと受け継いでいるというように見える、『藝文類聚』の採録の仕方です。

先の親を思う賦とともに、この兄弟を思う賦についても、
ほんとうに曹植よりも前に作られた事例がないのか、検証する必要があります。

ところで、それとは別の興味関心として、
曹植はその後半生、兄の曹丕からひどい仕打ちを受けたのでしたが、
それ以前の曹植は兄のことをどのように思っていたのか、
それが「離思賦」に垣間見えるかもしれません。
(このことについては、かつてこちらでも触れたことがあります。)

少年時代から、親しみ慕っていた兄が、
ある時期以降、自分を傷めつける人間へと変貌していったとするならば、
その絶望の深さには息をのんで黙り込むしかありません。
それでもなお曹植は、その「吁嗟篇」の結びでこう詠じています。

願為中林草    できることならば林の中の草となり、
秋随野火燔    秋の日、野火に身をゆだねて焼かれてしまいたい。
糜滅豈不痛    焼けただれて消滅することに、痛みを感じないわけがないけれど、
願与根荄連    もとの根っこに連なりたいという一心なのだ。

2021年1月20日