史実を知りたくなる時
こんばんは。
昨日に続いて、中年期以降の元白交往詩について。
(二人の年齢等については、こちらの「白居易元稹年表」をご参照ください。)
長慶3年(823)10月から翌年5月までの間、杭州の白居易と越州の元稹は、
現存するだけで、あわせて二十組もの詩をやり取りしています。*
ところがその後、二人の往来はふつりと途絶えます。
白居易が太子左庶子、蘇州刺史、秘書監、刑部侍郎と遷っていく間、
すなわち、長慶4年(824)6月以降、太和2年(828)歳暮までの約5年間、
越州刺史・浙東観察使であった元稹と間には、一篇の詩の往還も認められないのです。
(失われた交往詩、あるいは返事のなかった詩があるかもしれませんが。)
この空白は何を物語っているのでしょうか。
遠く離れていても、頻繁に連絡を取り合うのでなくても、
深い理解と共感で結ばれている友情はたしかに存在すると私は思います。
では、白居易と元稹の場合はどうでしょうか。
太和3年(829)の春、白居易が58歳の時に詠じた、
「想東遊五十韻(東遊を想う五十韻)」(『白氏文集』巻57、2717)という詩があります。
その序によると、洛陽での半隠遁的な生活に入る直前、
かつて元稹と風光明媚な浙江で遊んだことをなつかしく思い出し、
一度、越州に彼を訪ねてみようと思い立って作ったのが本詩だということです。
この百句から成る詩を、白居易は次のように結んでいます。
志気吾衰也 私の志気はすっかり衰えてしまった。
風情子在不 君の風流を愛でる心はご健在だろうか。
応須相見後 こんな具合では、再会した後にはきっと、
別作一家遊 各々別の遊びをしなくてはならないことだろう。
なにかひどく気落ちしているような様子の白居易です。
その背景に何があったのでしょうか。
そうなると、彼を取り巻いていた環境を知らないわけにはいかなくなります。
2021年1月27日
*花房英樹『元稹研究』(彙文堂書店、1977年)213―217頁を参照。