『文選』の伝播力
こんばんは。
曹植「朔風詩」(『文選』巻29)の中に、次のような対句があります。
昔我同袍 昔 我らは袍を同じくせしも、
今永乖別 今 永(とこしへ)に乖(そむ)き別(わか)る。
この上の句を、多くの先行研究は「昔 我が同袍」と読んで(解釈して)います。
この読みは妥当でしょうか。
『文選』李善注の指摘によれば、
「同袍」は、『毛詩』秦風「無衣」に見える次の句を踏まえています。
豈曰無衣 どうして衣が無いなどというものか、
与子同袍 そなたと綿入れを共にしよう。
これに基づくのならば、「同袍」を「袍を同じくす」と読んでもよいはずです。
ではなぜ、多くの先人が「同袍」と名詞化して捉えたのでしょうか。
この句を含む四句一聯に対して、
(前掲の対句の前に「千仞易陟、天阻可越(千仞も陟り易く、天阻も越ゆ可し)」とあります。)
盛唐に成った『文選』五臣注のひとつ、張銑の注が次のような注釈をつけています。
言険事亦易為也、而嗟我兄弟乖別。同袍、共被之義。
言ふこころは、険事も亦た為し易きなり、而して我が兄弟の乖別するを嗟く。
同袍は、被を共にするの義なり。
これに拠って、唐代以降、「同袍」を、兄弟の意とする解釈が定着していったのしょう。
なお、漢魏晋南北朝時代の詩において、「同袍」という語の用例は、
この曹植「朔風詩」と、
同じ『文選』巻29所収の「古詩十九首」其十六にいう
「錦衾遺洛浦、同袍与我違(錦衾 洛浦に遺れ、同袍 我と違ふ)」の2例のみですが、*
これが唐代に入ると格段に増えます。
そして、その多くは、兄弟、もしくは夫婦の意味で用いられているようです。
兄弟の意は曹植「朔風詩」から、夫婦の意は「古詩十九首」其十六から出たものでしょう。
唐代の知識人たちは『文選』を基本的教養として学びましたから、
そこで用いられている語句は、彼らの間に広く深く浸透していったと思われます。
「同袍」という語の意味的展開と定着は、
『文選』を経由してこそ起こった出来事であると考えます。
2021年3月1日
*逯欽立『先秦漢魏晋南北朝詩』の電子資料(凱希メディアサービス、雕龍古籍全文検索叢書)によって確認した。