曹植は政治的野心家か?
こんばんは。
曹植文学を概観した余冠英「建安詩人代表曹植」に、次のような内容の論述が見えています。*
曹植はたいそう手柄を上げることに熱心だった人で、死後の名声を強烈に追求した。
彼の第一の志望は、政治上において功績を打ち立てること、
その次には、学術上において貢献すること、
最後にやっと、ひとりの文学者たることである。
だが、結局はなお文学に敬意をもち、文学でも人は不朽の存在となれると考えた。
だから、皇帝を補佐することが挫折して後は、文学によって後世に名を残そうと決心した。
この論述部分には、曹植の「与楊徳祖書」や「薤露行」の句が織り込まれていますが、
今、その用い方の妥当性については措いておくこととします。
ただ、本当にそう言えるだろうか、と思わず立ち止まったのは、
曹植を政治的野心家だとする余冠英の見方に対して、いくつもの反証が思い浮かんだからです。
たとえば、曹植二十歳頃の逸話として、
冷静沈着な人格者で、毅然とした態度で曹植に接する家丞の邢顒を煙たがり、
文学的才能にあふれた庶子の劉楨と親しく交わって、却って劉楨にたしなめられたとあります。
(『魏志』巻12・邢顒伝)
この曹植の至らなさは、まだ彼が若かったからだとも言えますが、
その後、側近たちが曹植を、父曹操の後継者として強く推すようになっても、
その贈答詩や「与楊徳祖書」を見る限り、彼の意識は文学に向っているように感じられます。
この点、彼は兄の曹丕とは振る舞い方が異なっていると言えます。
たとえば曹丕は、自身の地位を固めるため、賈詡に助言を求めたりしていますから。
(『魏志』巻10・賈詡伝)
曹植はどのような契機から、現実社会での勲功を強く求めるようになったのでしょうか。
それ以前に、そもそも人間は一貫して変わらない存在なのでしょうか。
2021年3月4日
*余冠英「建安詩人代表曹植」(『漢魏六朝詩論叢(中華現代学術名著叢書)』商務印書館、2016年)p.75を参照。