曹植「仙人篇」考

こんにちは。
すっかり間が空いてしまいました。

昨日、曹植「仙人篇」の訳注稿を公開しました。
いくつか残した不明瞭な点も含めて、ここで振り返ってみます。

本作品の成立年代について、
多くの注釈者は、黄初年間(220─226)と推定しています。
すなわち、曹丕が魏の文帝として君臨し、曹植を含めた弟たちを冷遇した時期、
曹植の年齢で言えば三十代前半に当たる年代です。

この推定は妥当だと私も考えます。
というのは、たとえば次のような句が見えているからです。

潜光養羽翼  輝きを隠し、羽翼を休ませて元気を養い、
進趨且徐徐  しばらくは立ち居振る舞いを緩やかに控えよう。

このような発想に至った具体的契機が示されているわけではありません。
ただ、こうした退却志向は、曹操が存命中の建安年間には認められないものです。
本詩を、曹丕によって自由が奪われた時期の作だと見る説には、説得力があると判断されます。

本詩のこの句より前、曹植は言葉を敷き連ねて仙界への飛翔を詠じています。
すると、仙界に遊ぶことが、前掲の二句にいう「光を潜める」ことと重なるでしょうか。
つまり、遊仙を、現実からの逃避と同義だとしているということです。
曹植以前に、こうした発想の遊仙詩はほとんど見出せません。*

ただし、「羽翼」という語が、飛翔ということを直に連想させるため、
前掲の二句を、仙界への飛翔と同一視することには少しくためらいを感じています。

では、その二句に続く次の四句はどう捉えるべきでしょうか。

不見軒轅氏  見ずや 軒轅氏の、
乗竜出鼎湖  竜に乗りて鼎湖を出づるを。
徘徊九天上  徘徊して九天に上り、
与爾長相須  爾と長く相須(ま)たん。

最後の一句「与爾長相須」について、
多くの注釈者は、その主体を「徘徊して九天に上る」者だと捉え、
その者と、本詩の前半で仙界に飛翔している詠じ手とを同一視しています。

そして、「爾」は、「軒轅氏」のことを指すとしています。

本当にこのような解釈でよいのか。
これとは別の見方をすることも可能なのではないか。
この続きは明日述べます。

2021年6月14日

*矢田博士「曹植の神仙楽府について―先行作品との異同を中心に―」(『中国詩文論叢』9号、1990年)に指摘する。