曹植「仙人篇」考(承前)

こんばんは。
昨日の続きで曹植の楽府詩「仙人篇」の末尾について。

最後の一句「与爾長相須」を、
私は軒轅氏から曹植に向けられた言葉として捉えました。

その理由のひとつは、訳注稿の語釈にも示したように、
「爾」は、対等の間柄で使われる二人称だと私は認識しているからです。*
黄帝軒轅氏に対して、「爾」と呼びかけるのはややぞんざいに過ぎないでしょうか。
けれども、もし曹植がほんとうに黄帝に対して君呼ばわりしているのであれば、
それはまたそれで、考察に値する新しい興味が浮かび上がります。

それはともかくとして、
前掲のような解釈をしてみた、もうひとつの理由はこういうことです。

前掲句のごとく「君をいつまでも待っているよ」と言っているのは、
その前の句にある「九天の上を徘徊する」者だろうと見るのが自然でしょうが、
その「徘徊九天上」は、「不見軒轅氏、乗竜出鼎湖」の直後に出てきます。
すると、「九天の上を徘徊する」のは、
「竜に乗って鼎湖を出でた」「軒轅氏」と捉えるのが妥当ではないでしょうか。
そうでないと、ひどく慌ただしい構成になるように思います。
「軒轅氏」の昇天に対して、「不見(御覧なさい)」と人々に注意を向けさせた者が、
今度は一転して、自身も空高く昇天していき、前掲のようなセリフを言うことになるのですから。

類似する表現が、「遊仙」(『曹集詮評』巻5)にも出てきます。
曹植の他の遊仙詩をも広く読んでいけば、また違った結論にたどり着くかもしれませんが、
今は、仮に上記のように通釈しておきます。

この楽府詩「仙人篇」には、ほかにもまだ釈然としないところがあります。
それも、多くの作品を読み、時を重ねていけば、いつかは解明できるかもしれません。
(今はわかる、曹植「七哀詩」と晋楽所奏「怨詩行」との関係も、十年ほど前は未解明でした。)

2021年6月15日

*このことは、拙著『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)p.428に論及しています。ただ、もっと広く調査すれば、あるいは反証も見つかるかもしれません。