父子二代にわたる仕事
こんにちは。
またしばらく間が空きました。
校務が立て込んでも時間を作って毎日の気づきを記したい、
と思いながらそれが継続できないのはなぜか、考えてみました。
それは、こんなことをやって何か意味があるのか、
もっと言えば、誰かの役に立っているのか、
などとふと思ってしまうからです。
自分は雑草と同じで、勝手に地面から芽吹いた存在なのですから、
誰かのために役立つことなどを夢想しないことです。
気づきの意味無意味を問わないことです。
さて、かつて何度か言及したことがある、
『三家詩遺説攷(考)』(王先謙編『清経解続編』巻1118―1166)について、
先日新たに知ったことがあるので、ここに記しておきます。
これまで私は、その著者を陳喬樅と記してきました。
参照したその記述の中に、「喬樅謹案(喬樅謹んで案ずるに)」とあったので。
ところがこれは、彼の父、陳寿祺から二代にわたる研究の成果でした。
その巻頭、陳喬樅「魯詩遺説攷自序」の中にこうあります。
喬樅幼承庭訓、稍長治三家詩、先大夫因出所撰三家詩遺説、命卒其業。
喬樅 幼くして庭訓[家庭教育]を承(う)け、稍(やや)長じては三家詩を治む。
先の大夫[父親]は因りて[そこで]撰する所の『三家詩遺説』を出して、
其の業を卒(を)へんことを命ず。
この自序の末尾には、「時道光十有八年戊戌(1838)秋九月」と記されています。
一方、その前に置かれた、父陳寿祺による「三家詩遺説攷自序」には、
「嘉慶二十有四年己卯(1819)仲春」と見えています。
父から受け渡された仕事を、その子は約二十年の歳月をかけて完成させた、
ということを、本書の巻頭部分から知らされました。
書名を記している部分は修正しました。
ただ、陳喬樅という名が明記されている部分の引用についてはどう記したものか、
修正の仕方は統一できていません。
2021年6月27日