後漢末の文人たち

こんばんは。

後漢末、曹操の下に形成されたいわゆる建安文壇は、
シビアな競争意識を支えとして成り立っていた可能性があると指摘されています。*

彼ら建安文人たちの心性を知る上で、
もしかしたら手がかりになるかもしれない作品に出会いました。
といっても、これまで知られていなかった作品を発見したわけではありません。
その作品が示唆することに改めて気づかされたのです。

それは、曹操と同年代の文人、
趙壹の「刺世疾邪賦」(『後漢書』巻80下・文苑伝下)という作品で、

その中に登場する「秦客」と「魯生」が、掛け合いで次のような五言詩歌を作っています。

まず、「秦客」の作った詩から。

河清不可俟  黄河が澄むのは待っていられないし、
人命不可延  人の命は伸ばせない。
順風激靡草  順風が激しく吹き付けて草をなびかせ、
富貴者称賢  富貴の者が賢者だと称賛される。
文籍雖満腹  書物の中身が腹いっぱいに満ちてはいても、
不如一嚢銭  一袋の銭には及ばない。
伊優北堂上  くねくねと媚びへつらう者は奥座敷に上り、
抗髒倚門辺  意気軒高な硬骨漢は門の片隅に身を寄せる。

これを聞いた「魯生」が、継いで作った歌は次のとおりです。

埶家多所宜  勢力のある者には宜しきところが多く、
欬唾自成珠  咳や唾でさえ自ずから珠玉となる。
被褐懐金玉  粗末な服を着ながら心に宝を持つ者は、
蘭蕙化為芻  香草の蘭蕙もまぐさに変化する。
賢者雖独悟  このことを賢者だけは分かっているが、
所困在群愚  どうしようもないのは群れなす愚者たちだ。
且各守爾分  まあとりあえずはそなた自身の分を守り、
勿復空馳駆  無駄に走り回ることはやめたまえ。
哀哉復哀哉  不憫にも重ねて不憫なことだ。
此是命矣夫  これは運命なのだ。

このやり取りに、不遇な文人たちの置かれた社会環境が垣間見えるようです。

こうした社会的風潮の中に身を置いていた後漢末の文人たちが、
曹操のような実力第一主義者の下に集まったのは自然の趨勢だと言えます。
そして、その文人たちが互いにしのぎを削ったのも自然の成り行きだと思えます。
ただ、その中にも隠者的志向を持つ徐幹のような人はいましたし、
王粲のような十分に恵まれた家柄の人もいましたが。

2021年8月2日

*岡村繁「建安文壇への視角」(『中国中世文学研究』第5号、1966年)を参照。